山梨日本語ボランティアの会
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 会員便り 
 第1回目:「微笑みの国タイ」、村松通久さん
 強烈な熱気とエスニックの香りに包まれて、小さな空港に降り立ってから30年が過ぎようとしています。
今、あの刺激的なエスニックの香りは薄らいで、その小さな空港は第一、二ターミナルを持つ国内線専用の大きな空港に生まれ変わりました。そしてさらに首都の東には、成田空港以上の巨大な国際線空港、スワンナプーム空港がタイの空の玄関口として開港されています。バンコクやその周辺を見渡せば、かつての面影はほとんどありません。東洋のベニスと言われたその象徴である運河は埋め立てられ、自働車用道路に変わり、高速道路が走り、市内電車や地下鉄も開通して、バンコク市内の中心部には、東京をしのぐ多くの超高層ビルが林立しています。
 その近代化の一つでしょうか、バンコク市内は日本料理店も数が増えて、料理の質もいまでは、寿司やラーメン(日本の有名店が進出)など日本と遜色ありません。日本食の種類も多く、店内は日本語がOKなので、まるで日本にいるような気分になります。バンコクの日本食の居酒屋は日本人でいつもいっぱいです。
かつては、日本製品のバッシングなどもありましたが、タイの大方の人たちは、日本や日本人に好意的で、日本人がタイ人に感じているよりも、タイ人は日本人に親近感を持っているようです。ちなみに、日本語はタイ人に人気のある外国語で、タイでは日本語教育が盛んに行われています。
 私は近年、年に何回かタイを訪れるようになりましたが、そのきっかけは、20年ほど前にタイの東北地方の農村に行ったことからです。私も農業(有機農業)をしていた関係で、知人にタイの農業者を紹介してもらい、サコンナコーン県というラオスに近い農村に行きました。そこは、タイ中央部の肥沃な田園地帯とは違い、年一回しかコメが取れず(中央部は年3回コメが獲れる3毛作)、しかも近くに大きな川がないため水が少なく(雨水を貯めた貯め池から水を引く)、土地も肥沃ではないので野菜などの作物も育ちにくく、農業にはあまり適していない地方でした。そのため人びとの収入は少なく、貧しい人たちが多かったです。
  写真①サコンナコーン県ブナ村友人家族と 写真②ブナ村メイン通り(1990年頃)

 その当時は電話もなく、車や冷蔵庫などの電化製品は村にⅠ,2台(洗濯機はゼロ)、水はなく井戸水か雨季に大きなカメに貯めた雨水を生活用水に使い、ご飯は枯れ木を燃やして炊くという状況でした。その地方を歌った歌には「…水牛の次には娘を売る」という歌があります。あれから20年が経ちますが、ケータイ電話や車、オートバイ、電化製品(水が使えないのか洗濯機は今でも家庭には普及していません)などは増えたとはいえ、貧しさは今もあまり変わっていないように私には思えます。
 上に書いたようにバンコクとその周辺部は先進国と肩を並べるような経済発展を遂げましたが農村部はまだまだ貧しさから抜け出してはいません。ある資料でタイ国内の地域ごとの生産額と所得を見てみましたが、首都バンコクとタイで最も貧しいと言われる東北地方の地域生産額は、東北地方はバンコクの10分の1、所得は3分の1です。これは平均ですので、東北地方の貧しい人たちの所得にはもっと格差があるということになります。先進国の日本とちょっと比べて見てください。タイを少し知れば、それはよそ者の私たちにも実感できます。
 東北地方の人たちはほとんどが農業者です。日本の集約的な米作と違い、粗放的で反収(一反当たりの収穫量)は日本の半分です。機械化はあまりされておらず、労力を使う割には収入につながりません。しかも年1回の作付けで、雨期に雨が降らないと米は作れません。また、地域生産額がバンコクの10分の1ということは、地方に農業以外主要な産業がないということでもあります。
 
写真③タイの子どもの農作業風景 写真④タイの小学校の授業風景(15年位前)

 さらに、私が驚いたのはバンコクと地方をつなぐ幹線鉄道です。いまだに単線なのです。本の東海道本線が単線って考えられますか? また、道路は近年、広い道路が地方にも作られましたが、バンコクと地方をつなぐ自動車専用の高速道路はありません。これでは、地方と都市を短時間で移動できないし、産業としての大量輸送もスムーズにできません。タイは地方のインフラ(社会整備)がまだまだ不十分という印象を受けます。その結果不便な地方には会社や工場が進出できず、農村の人たちは所得の低い農業で生活しなければならない状況になっています。日本とはだいぶ違うと思いませんか?
 そこで、財界の新興勢力であるタクシン氏が2000年初め首相当時行ったのが、医療の無料化など貧しい人に対する政策でした。今までの政治が、貧しい人たちにあまり関心を示さなかったのに対して、タクシン氏は農村部の人たちの票を獲得する狙いもあったのでしょう(2000年、01年の国政選挙ではタクシン派が圧勝しました)、積極的に地方の農村部の人たちに恩恵を与える政治を行いました。しかし、そのタクシン氏はクーデターで2年程前に失脚してしまいました。そのことが今回のデモ騒動の直接的な原因になっています。
 赤シャツ(国旗にある国民の色=赤色)対黄色シャツ(王様の生まれた曜日の色=黄色、どちらも国を思うという意味の色)の対立になっていますが、赤シャツ集団はタイの農村部の人たち(北部や東北部)や財界の新興勢力の人たち、バンコクの貧困層などから組織されており、黄色シャツ集団はタイの保守層、特権階級、バンコクのエリート中間層の人たちから構成されています。今回のデモを含めタクシン氏の政治で農村部の人たちは政治に目覚めたように私は思います。首相を誰にするかによって自分たちの生活が変わるのだということを知ったのです。

   写真⑤2010年3月デモ風景

 今の社会は、グローバルな中で近代化を目指してしのぎを削る社会、言いかえれば資本主義・市場経済社会です。良し悪しにかかわらず、お金を稼がなければ国が発展していかない社会になっています。そのためには国や社会を近代化しなければなりません。日本は第二次世界大戦後、アメリカによって近代化されました。中国やベトナムは戦後の社会主義化によって封建社会が一変し、今は近代化の道を歩んでいます。
しかし、タイはそうではありません。現王朝が成立した18世紀末以来、クーデターや内紛があったり、専制君主制から立憲君主制になったり、民主化はしましたが、国の形態が一変するような大きな混乱や戦争はなく今に至っています。また、タイはご存じのように、東南アジアで欧米や日本の植民地にならなかった唯一の国です。
 そんなわけで、伝統的社会がいまも残るタイは、近代化(資本主義・市場経済化)が日本や中国、ベトナムのように急速には進んでいません。貧富の格差が依然としてあり、残念ながら日本のように「1億総中流」という状況ではありません。その近代化、現代化の新興勢力を象徴するタクシン氏が失脚し、これまでの既得権益を守ってきた既存勢力(保守派)が現在政権についていることから今回のデモ騒動、混乱は起こりました。
 タイの人たちは、ここ二百数十年、内外ともに大きな戦争をすることなく現在に至っています。タイのいままでの政治がそうだったように、タイ国民は社会的調整、政治的調整をしながら国を守り、維持してきました。そういう点で主張より、調整や妥協を優先する国民性があるのかもしれません。
また、「微笑みの国」と言われるように、外国人や初めて会う人などにも微笑みを欠かさない人たちです(ちなみにタイ人はバンコクを「クルンテープ」と言いますが「天使の都」という意味です。素敵な命名でしょう?)。人まえでけんかをしたり、激しく怒ることも極力避けます。そしてタイの男性は女性に大変やさしくて、日本の男性にはちょっとまねできないくらいです。
 そんな国民性を持ったタイの人たちですから、ぜひ今回のタイ国内の騒動でタイを危険な国だと思わないでほしいと私は切に願います。国が近代化していく過程の中でどこの国でも起こりうる、通過せざるを得ない政治的、社会的出来事がタイでも起きていると理解してください。近代化が割合いスムーズにいった日本でも過去にいろいろな出来事や事件がありましたよね。
私はいつもタイのことを聞かれると「タイは欧米より安全ですよ」と言います。私は、これは運がいいだけのことかもしれませんが、タイを知って30年、危険な目に会ったことがありません。みなさんもぜひタイを訪れて、タイの人に接して、タイの人のやさしさや気さくな国民性に触れてみてください。きっとみなさんもタイが好きになることと思います。タイの人たちが日本や日本人を大好きなように。
会員歴(甲府地区)は1年余ですが、タイとの関わりは30年に及ぶとか。2月に実施したタイ研修旅行にも参加、参加者一堂の心強い案内役となりました。


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